支部長コラム其の4「シストレにおける運について、結論を語ろう」

eyecatch

けましておめでとうございます。坂本タクマです。2017年も全シ連をよろしくお願いいたします。

 正月にちなむわけではありませんが、今回は「運」について考えます。シストレにおける運については、もう、この辺で自分なりの結論を出してしまおうと思います。これ以上言うことはないというまで言ってしまおうかと。

 相場には運・不運がつきものです。それは別に悪いことではなく、強者にとってはむしろ好都合であることは全シ連第32話で申上げました。第35話では、その続きとして、シストレにとって運とはどういうものか、ということをお話ししました。
 まずは運というものの定義を確認しましょう。もちろん人によって違うんでしょうが、私の場合は辞書的な意味で十分と考えています。すなわち、

「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき」(広辞苑)
です。

 ポイントは、「人知・人力の及ばない」というところです。人にはどうすることもできない、ということです。言い換えれば、「運は人には支配できない」ということになります。この定義に従うならば、「運をコントロールできる」と主張した時点で、その人は運ではない何か別のもののことを言っているか、さもなくば人を超えた存在であるということになります。人を超えた存在については、常人である坂本には論ずることができませんので、気になる方は別の文献を当たってください。以下は、「運はコントロールできない」という立場でお話しします。

 シストレで勝つにはどうすればよいか、ということを、「運」という言葉を用いて述べれば、「通常は運任せであることに、運以外のものを持ち込むことで勝てるゲームにする」ということになるでしょう。

 「運任せ」というと、多少ややこしいところはあります。ほとんどの人は運任せで売買しているとは思っていないはずだからです。誰しも、何かしらは考えて投資しているのです。それでも、結果として多くの投資家が敗れ去っていく現実を見れば、何らかの意味で運任せになっているのではないか、と坂本は考えています。

 例えば、「優位性があるのかないのか不明な手法に賭けている」とか、「当たればデカいが外れると壊滅的なダメージを受けるほど大きなポジションを取る」とか、自分の意思でやっているようで実は運に身を任せすぎていることは多いんじゃないかと思います。

 もちろん、相場であるからには運に身を任せる部分は必ずあるのですが、すべてを運任せにする必要はありません。運任せの部分と、そうでない部分をきっちり分けて考える必要があるのです。

 要は、運との付き合い方が大事、ということです。優位性のある手法の中で生じる運・不運に対しては完全に身をゆだねる。その一方で、不運が固まってやってきたときに身を滅ぼさない程度に、ポジションを小さめにする。この、「小さく完全にゆだねる」感じが、シストレをやっていく上での運との付き合い方の要諦です。

 この態度は、簡単そうでなかなか難しいものです。1回1回のトレード結果を、運であると割り切ることができるかどうか。運という、人にはどうしようもないものを、どうにかしようと余計なことをしてしまわないか。「ツいてなから」と消極的になったり、「ツいてるから」と過剰にリスクをとったりしていないか。考えてみる必要があります。

 各トレードの勝ち負けを、システムトレーダーはどうにもできません。どうにかできるのは、たくさんのトレードが集まったトータルとして、収支をプラスに持っていくことだけです。トレードの集まり、すなわち分布こそが、我々がどうにかできる部分なのです。「分布を歪ませる」のです。

 どうやって分布を歪ませるのか、少し具体例を挙げましょう。

 まず、ランダムに仕掛けた場合を考えます。例えば1/2の確率で買い、1/2の確率で空売し、一定期間持ったら手仕舞う、というようなことです。おそらくは、図1のようにほぼ左右対称で、平均値がほとんど0の分布になるんじゃないかと思います。あまり歪みのない、きれいな分布です。これだと、1回1回のトレードはもちろん、全体の収支も、運次第です。これを歪ませて、「運でないもの」を取り入れようというのが我々の目論見です。

 何らかのトレンドフィルターをかけ、平均値をプラスに持っていくことができたとすれば、図2のように山の形そのものはあまり変わらず、全体的に右方向へ移動する感じになるでしょう。

 さらに、仕掛けを優位性のあるものに取り替たり、「損は切って利は伸ばせ」を手仕舞いに適用したりすれば、図3のような形を目指せるでしょう。図4のような「コツコツドカン」型もありましょう。

 分布の形は人それぞれ好みがあるでしょうが、とにかく平均がプラスになるように歪ませれば成功です。このできあがった分布こそが、「運でないもの」、すなわち実力ということです。

 実戦では、こういう形をした的に矢を当てるイメージを持ってトレードします。的のどこかには当たるはずですが、どこに当たるかはコントロールできない、運次第、というゲームです。的がうまい形になっていれば、トータルで勝てる仕組みです。

 まとめますと、シストレにおいては、運と実力は次のように分けられます。

運 :1回1回のトレード
実力:トレードの集合が作る分布

 とても単純です。この単純さこそが、システムトレードの強みだと坂本は考えています。「運も実力のうち」という言葉がありますが、運と実力はごっちゃにされがちです。運と実力は、できるだけ分離したほうが考えやすいんじゃないでしょうか。

 仕掛けや手仕舞いをその時々の自分の判断で行う裁量トレードなら、これほどきっぱりとは割り切れないかも知れません。1回1回、自分の判断が入っているのですから、ある意味すべて実力です。しかし、株価の動きには不確実性がつきものですから、結果に関しては運としか言えない部分もあります。よって、裁量トレーダーの意識の中では、1回のトレードの中に実力と運がごちゃ混ぜになっているのではないでしょうか。それがストレスの原因になり、上達を困難にし、勘違いによる判断ミスにつながったりするような気がします。自分の心を制御する力が問われるところです。シストレでは、そういうストレスはずっと少なくなります。あくまで、1回1回は運、と割り切ることができればですが。

 このように、運に関して話を単純化できることがシストレのいいところです。ただし、上の構図は、シストレというものを単純化しすぎたきらいはあります。実力、すなわち分布の形が、生涯不変のものか、という疑問があります。過去データでの分布が将来も維持される保証はありません。いつかは変わるものと思っていたほうがいいでしょう。それをどうやって判断するか、という新たな問題が発生します。過去データでの分布は、真の形を大ざっぱに表しているに過ぎない、と思わなければなりません。結果に大きな偏りが出た場合、単に運の問題なのか、分布に変化が起きたのか、という見極めは、難しい問題です。

 それでもなお、シストレにおける実力のほうが、裁量トレードにおける実力よりも、安定しているということは言えるのではないでしょうか。機械的な戦略は、日常生活のトラブルを引きずるようなこともありませんし。

 余談になりますが、運と実力について、前々から思っていることがあります。麻雀などについてよく言われるのが、「1回1回のゲームは運がかなりの割合を占めるが、何千回もやれば実力が上の方が勝つ」とうことです。これって、本当でしょうか?

 人間の実力というものは、一定不変ではありません。上達したり、逆に下手になったりします。もし強い人と弱い人が何度も何度も戦ったら、弱い人はだんだん上達していくのではないでしょうか。勝負事に強くなる一番の方法は、自分より強い人と戦うことだ、と教わったことがあります。逆に、強い人は格下とやってもあまり上達は見込めませんから、実力差はだんだん接近していくと思います。やがては逆転することだってあり得るでしょう。学生時代、最初はこっちが麻雀を教えていた下級生に、1年ぐらいたったら抜かれていた、なんてことはしょっちゅうでした。

 といったわけで、「何千回もやれば」というような仮定は、人間には適用すべきではない気がします。学習能力のないサイコロやカードなんかに留めておくべきでしょう。

 トレードに話を戻しますと、勝ちや負けがまとまってやってきた場合、シストレのほうが裁量よりも「運である」と割り切りやすいと思います。割り切れないのならば、シストレをやるメリットはだいぶ減ってしまいます。1回1回は運であるからには、負けが込むこともあります。それは避けられないのですが、なんとかしようとして、結果として運をコントロールしようと無駄な努力に走る可能性は大いにあります。

 「今は相場が悪いからやめておこう」とか、「今は相場がいいからガンガンいこう」とか、我々はそういう思考に陥りがちです。ちゃんとしたデータの裏付けがあるなら、戦略として堂々と組み込めばいいわけですが、単に雰囲気を感じてそう言っているだけのこともあるのではないでしょうか。よほどしっかりした相場観を持っていれば別ですが、そうでないなら、「相場がいい・悪い」という言葉は、「ツいてる・ツいてない」と同義に使っている可能性がありそうです。つまり、運をコントロールする行為です。

 運以外のものに触っているように見えて、実は運をいじろうとしていることは多々ありそうです。非常に気をつけないと、まずいと思います。

 もはやはっきりと言うべきときが来ました。

 運はコントロールできません。コントロールしようとしてはいけません。十分に堅牢な戦略と資金管理の下でなら、完全に運に身を任せても大丈夫なはずです。戦略を信じるのです。信じる者に幸運は訪れます。もちろん不運も訪れます。それはどうってことない、普通の現象です。

 以上で、シストレと運に関して私の言いたいことはほぼ言い切りました。しかし、上に長々と述べたことはすべて、「運はコントロールできない」という前提の上に立ったものです。世の中には、そうは考えない方もいらっしゃいます。多分、システムトレーダーの中にもいらっしゃいます。

 私は、そういう方々と意見を戦わせようとは思いません。それは無益であり、有害でさえあると思っています。

 自分と意見の違う人ほど、大切にしなければなりません。自分が買おうと思っているときに売ってくれる人、そういう、自分とは売買の向きが反対の、意見の異なる人。板の向こうのそういう存在のありがたさ。それは、絶対に忘れないようにしています。このことは、坂本の運に関する考え方なんかよりずっと大事なことです。

 上では、シストレのほうが裁量トレードよりも有利な点を述べていますが、だからといってみんなが裁量をやめてシストレに転ずるべきだと言っているわけではありません。人間の持つ学習能力をプラス方向に最大限発揮すれば、固定的な戦略を使うシストレよりもずっと上に行ける可能性があると思います。私は、自分の内面的なものや置かれた状況を考慮して、たまたまシストレを選んではいますが、どちらがよいかは人それぞれです。全シ連と全裁協が対立抗争する、みたいなことはあってはなりません。

 世の中、意見や立場の異なる人を言葉で攻撃してのし上がる、という手法が大はやりですが、せめて相場の世界くらいは、そうあって欲しくありません。2016年、民主主義方面でいろいろあったのを見て、そんな思いを深めたのでした。